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こんにちは、はちてんだべ〜!
今週はとにかく熱い!猛暑日が続いてるみたいだべ〜!
みんな倒れないように、体調管理には気を付けるべよ!
今回は「終戦記念日(終戦の日)」にむけて「八王子大空襲」についてお話するべよ!
終戦記念日(終戦の日)とは
「第二次世界大戦(太平洋戦争)」終戦の日として称され、8月15日と定められています。
1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国(後にソ連が参加)が日本軍の無条件降伏を要求した「ポツダム宣言」を発しました。
同年の8月14日に昭和天皇がこの「ポツダム宣言」を受諾したことによって終戦となりました。
翌日の1945年8月15日正午に天皇の肉声を放送する玉音放送(ぎょくいんほうそう)では、昭和天皇による昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)が音読されました。
これは、日本国民に日本の降伏を伝えるための放送で、日本ではこの玉音放送のあった8月15日が終戦記念日(終戦の日)となりました。
八王子大空襲とは
第二次世界大戦(太平洋戦争)の最中、八王子大空襲(八王子空襲)は行われ、1945年8月2日にアメリカ軍が八王子市周辺にむけて行った空襲です。
八王子市にとっては未曾有の被害を被った大空襲でした。
なぜ八王子市が狙われたの?
理由は大きく分けて以下の3つあります。
① 当時から中央線、横浜線、八高線が通った八王子駅があり、東日本の鉄道の重要都市だった事。
② 軍需工場の労働者の住居や疎開してきた人が多かった事。
③ 八王子大空襲当時まで大きな空襲を受けていなかった事。
このような事が空襲が行われた理由となってしまいました。
アメリカ軍は八王子を軍事的に重要視していませんでしたが、アメリカ軍が把握していないところで、浅川地下工場(浅川地下壕)などの軍事施設が存在していました。
浅川地下工場(浅川地下壕)は当時の浅川駅(現在の高尾駅)周辺に掘られた洞窟で、航空機のエンジン等を作っていた軍事工場です。
▼ 空爆を行ったB-29爆撃機。
八王子大空襲による被害状況
八王子大空襲は2時間にわたって爆撃され、その2時間で1600トンもの焼夷弾が投下されました。
日本本土空襲で3番目の投下量となり、市民一人当たりに換算すると10個もの焼夷弾が降り注いだ計算になります。
1945年は、アメリカ軍から日本各地への空襲が行われ、1945年3月26日〜6月23日まで行われた沖縄戦、1945年8月6日の広島への原爆投下・8月9日の長崎への原爆投下などに並び、1945年3月10日の「東京大空襲」は、史上最大規模の大量虐殺とされています。
八王子大空襲による死者は八王子市で396人、負傷者は2000人を越えます。
被災人口は7万人にのぼり、およそ1万4千戸の建物が消失しました。
八王子市役所や八王子駅なども焼失し、市街地の80%が焼け野原となってしまいました。
▼ 空襲後の八王子市街の写真です。戦災の恐ろしさを物語っています。
当時の概況・生活について
八王子大空襲当時の生活は、当たり前のごとく現在とは比較にならないほど困窮していました。
深刻な労働者不足によって1944年3月に中学生以上の学生が全員、食料生産や軍需産業に動員されたほどです。
この事態は学徒勤労動員、もしくは学徒動員などと呼ばれています。
八王子大空襲の慰霊のために建てられた塔
八王子市台町にある富士森公園内の慰霊塔は、戦災殉難者265名の慰霊のために建てられた塔です。
「八王子花火大会」や「八王子まつり」で一部紹介した自然あふれる楽しい公園ですが、そんな一面も持ち合わせています。
▼ 富士森公園 慰霊塔
八王子大空襲の3日後に起きた事件
2015年3月9日に放送されたTBSドラマ「戦後70年 千の証言スペシャル」でも取り上げられた「湯の花(いのはな)トンネル列車銃撃事件」は、八王子大空襲のわずか3日後(1945年8月5日)に起きた事件です。
1945年8月5日、419列車が高尾駅(旧浅川駅)に11時半頃到着したときに空襲警報が発令されました。
空襲警報は依然として発令中でしたが、乗客の怒号や列車の遅延を回避するためから発車されました。
今出発すれば、疎開先の山梨方面へ向かう途中にある「湯の花トンネル」や「小仏トンネル」に入れるだろうと考えたことも大きな要因です。
駅に停まっているよりも、トンネル内に入った方が安全と判断したためです。
▼ 高尾駅から山梨方面へ向かう途中に湯の花トンネルがあります。
湯の花トンネルへと続く勾配を登る最中、アメリカ軍のP-51戦闘機に見つかり、数回にわたる銃撃を受ける事に・・・
まず機関車両がに銃撃が行われ、機動力を奪われました。
そして、一車両半がトンネルへ入ったところで止まってしまったのです。
列車は長野や山梨に疎開として向かう人たちでいっぱいだったため、戦時下で正確な情報は残っていませんが死者は65名、負傷者は130名以上と大きな被害が出ています。
▼ 湯の花トンネル列車銃撃事件の現場近くの線路脇にある慰霊碑(八王子市裏高尾町)
八王子市裏高尾町にある「湯の花トンネル列車銃撃事件の慰霊碑」には、JR中央線 高尾駅北口からバスで「小仏峠」行に7分ほど乗り、「蛇滝口」を下車してJR中央線側へ50メートルほど小道を登った圏央道が見える畑の脇に建てられています。
八王子大空襲から復興へのあゆみ
市民たちの努力によって教育施設、住宅、商店、道路整備などの復興事業が徐々に実を結び、その後の朝鮮戦争の特需による景気回復は凄まじいものがありました。
戦前を上回るほどの景気回復を見せ、東京都下最大の都市へとなったのです。
八王子大空襲をもっと身近に感じたい方に
八王子市郷土資料館では特別展「戦後70年 昭和の戦争と八王子」が開催されています。
満州事変から太平洋戦争の市民生活、八王子大空襲による被害、戦後の復興についての記録が展示されています。
開催期間:2015年7月22日(水)~9月30日(水)
〒192-0902 東京都八王子市上野町33
TEL.042-622-8939 FAX.042-627-5919
▼ 八王子市郷土資料館の外観。
(※ 八王子市出典)
JR中央線 八王子駅南口から徒歩または車でのアクセスが可能です。
徒歩の場合は、八王子駅南口を出てから下図の緑線のように子安公園通りを通り上野町方面へ進みます。
▼ 八王子市郷土資料館へのマップ。
(※ 八王子市出典)
八王子大空襲がどんな空襲かわかりましたか?
戦争は映画の中のお話だけではないんだべ!
戦争とは切り離された日常を過ごしている日本人にとって、「終戦記念日」は平和について考える良い機会なんだべ!
この「八王子大空襲」のブログをキッカケに、一人一人がそういった事を考えてくれると嬉しいべ!
安倍総理による安全保障関連法案(安保法)の閣議決定について合憲か違憲かと騒がれる昨今で、戦争の歴史を知るということは重要です。
この機会に歴史を知って、はちなびを見ている方も議論・談話をしてみると面白いかもしれません!
今後もブログを書いていくから、是非チェックするべよ!
数々の強豪相手に惜しくも破れてしまい「はちなび」のマスコットキャラクターとして新たな使命をつかんだんだべ〜〜!
高尾山の天狗伝説から生まれたオイラが、八王子市に関する情報や歴史をどんどん紹介するべよ!